10万人に数人といわれる「稀少がん」と闘う大阪桐蔭高校の元球児が「新たな治療にチャレンジし、同じ病気の患者に希望を与えたい」と5月にクラウドファンディングのサイトを立ち上げ、インターネットを通じた支援を呼びかけています。同期のオリックス?バファローズ?森友哉選手ら野球関係者や友人を中心に支援の輪が広がり、父がプレーした大阪体育大学ラグビー部のOB会も協力に乗り出します。

父健さん、母由美子さんと【福森大翔さん提供】
大阪市出身の会社員、福森大翔(ひろと)さん(29)。大阪桐蔭3年だった2013年春のセンバツで4番を打ち、同年夏の甲子園では2回戦の日川(山梨)戦でサヨナラ打を放った。同期に森選手、1年上に春夏連覇を達成した藤浪晋太郎投手(米マリナーズ傘下)がいます。
立命館大学に進み、野球選手は大学で引退しましたが、大手ハウスメーカーで勤務するかたわら、週末は中学生のシニアリーグの野球チームでコーチとして指導していました。

大阪桐蔭時代に春夏の甲子園に出場した福森さん【福森大翔さん提供】
4年前、精密検査で悪性腫瘍がみつかりました。10万人に数人とまれにしか発症しない「稀少がん」と診断されました。「まさかのがん宣告で落ち込んだ。一時はすべての希望と気力を失った時期もあった」と振り返ります。胃、肝臓の一部摘出など3度の手術を受けました。
サイトを立ち上げたきっかけは、昨年9月、肝臓に複数の転移が見つかった時のこと。「今ここで一歩を踏み出さないといけない」と思いました。12月に稀少がん患者と家族が集まる会に参加して高齢の患者の話を聞き、「もっと世間に稀少がんのことを知ってもらい、少しでも患者さんに希望を持ってもらいたい」と強く感じました。

2013年センバツ。同期の森友哉さん(右、現オリックス?バファローズ)と【福森大翔さん提供】
サイト運営に詳しい高校の先輩のアドバイスを得て、今年5月、サイトを立ち上げました。
森選手は手術のために入院していた昨年10月、見舞いに訪れました。福森さんは「トモ(森友哉選手)がプロの第一線で活躍している姿を見て、自分は励まされている。トモも『(福森さんが)病気と闘っている姿を見て自分も頑張れる。一緒に頑張ろう』と言ってくれる。親友として寄り添ってくれている」と話します。
サイトには数多くの応援メッセージが寄せられています。福森さんは「『私の妻も稀少がんと闘っています』『私もがん患者です』など多くの声をいただき、少しずつでも輪が広がっていることがうれしい」と話します。
クラウドファンディングは5000万円の目標に対し、5月22日現在で1076人から1455万円が寄せられました。
福森さんは「新しい治療法に挑戦し、延命ではなく完治を目指すことで、同じ病気の人たちの光になりたい」とし、保険適用外の抗がん剤を米国から輸入するなどの治療を目指しています。また、「困難な時でも前向きに考えて行動すれば、応援されるような社会にしたい」とも話します。

家族で。右は妻聖欄さん【福森大翔さん提供】
福森さんの父健(たけし)さん(57)は母校の大阪体育大学のラグビー部OB会に福森さんへの協力について相談しました。健さんは啓光学園高校(現常翔学園)、大体大ラグビー部でロックとしてプレー。OB 会はメンバーに福森さんのクラウドファンディングなどの情報をシェアし、応援していくことになりました。健さんは6月7日のラグビー部OB総会でも参加して協力を呼びかけるといいます。長崎正巳監督は「ラグビー界でも応援の輪が広がっていくことを願っている」と話します。

2013年夏の甲子園。左端が福森さん、その右は森さん【福森大翔さん提供
福森さんは現在、会社を休職し、通院して治療を受けています。
がん宣告、再発という人生の岐路に立った時になぜ、くじけず「今、一歩を踏み出そう」と思えたのでしょうか。「野球選手として、ピンチに立った時、この場面をどう切り抜けるかということを常に考えて練習し、プレーしてきた。あの時一歩を踏み出せたのは、スポーツを続けてきたおかげなのかも知れない」。福森さんは野球に情熱をかけた日々を思い起こしながら語りました。
福森さんのクラウドファンディングサイトは下記。
<元高校球児が「希少がん」と闘う!誰もが行動すれば応援される社会をつくりたい!>
クラウドファンディングに関する問い合わせは、fukumori1995@gmail.com へ。
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